Mattie J.T. Stepanek, 詩人(Poet)
Chandley Mcdonald
P30
筋ジストロフィーの一人の少年は、彼の詩と勇気によって、何百万の人々に感動を与えた。当記事の著者Chandley Mcdonaldは、アメリカ国務省、国際情報事務局の記者である。
「Heartsongs(Mattie Stepanekの詩集のタイトル)」では、多くのことが象徴されている。詩の中で、「あなたの優しい歌はあなたの心の美しさ。あなたが自分をより素晴らしい人間へと導き、他人もそうであってほしいと願うあなたの心の歌。みんな一つずつもっている。」
ごくまれなタイプの筋ジストロフィーと戦ったこの若い英雄は感動的な詩やエッセイを書き、本を出版し、彼があこがれる人物とも会話し、人生をまっとうすることができた。Mattieは、2004年の6月に病に屈し、この世を去ったが、立派な人生と、実年齢を大きく上回る英知の伝説を残した。
自律不全糸粒体筋障害という病気によって、彼は呼吸、心拍、血圧、体温、代謝、酸素の利用において自己調整機能に障害を持っていた。彼は、9歳まで公立学校に通っていたが、様態が悪化し、車椅子の使用、毎日の日常生活において医療支援が必要になった。それでもMattieは移動、幅広い読書、詩の創作、石集め、そして筋ジストロフィーについての講演者になる等、多くを成し遂げた。筋ジストロフィー協会のNational Goodwill大使になり、またユナイテッド航空や国際小児病院がスポンサーである「空想の旅」のボランティアをするなど、これは彼の栄誉の一部である。
平和と世界中の忍耐のチャンピオンとして、Mattieは多くのテレビプログラムに出演し、有名な司会者達からインタビューを受けた。彼はワシントンD.C.のケネディーセンターにて、憧れの人であったジミーカーター前大統領を紹介したことさえあった。Mattieの言葉は年齢、人種、国籍、名声、能力、望みを超え、世界中のあらゆる人々に感動を与えた。
「人々は、僕に感動したと言ってくれる。そしてその言葉に僕は感動する。これは美しい絆だし、僕達はお互いのために一緒に生きているっていうことだ。すごい贈り物だよ。」この引用は、Mattie Stepnekの素晴らしい詩からそのまま抜粋したものである。
Angela Rockwood-Nguyen: 他者の前進を助ける(Helping Others Go Forward)
Chandley McDonald
P31
脊髄損傷の若者は、かつて自身の助けとなった基金を通じて、同じ境遇の人々を支援している。
2001年、彼女がDustin Nguyenと結婚式を挙げる丁度2ヶ月前、当時モデルと女優して、意欲的に活動していたAngela Rockwoodは、自動車での交通事故によって脊髄を損傷した。彼女は朝病院で起きたとき、この世の終わりかと思ったという。現実、彼女のかつての世界観は永遠に変わった。「変わったんです」彼女は言う。「フィットネスに熱狂的で、意欲的な女優だった私が、麻痺の世界にやってきたのです。C4-5の四肢麻痺です。」(C4-5というのは彼女の損傷した脊髄の位置だ。この場合、彼女の首の部分である。)
その時、Angelaは状況を直ちに判断し、例え彼女の生きている間中ずっと障害と付き合っていかないとしても、それを受け入れ、前進していく準備はできていると感じた。
「前に進め」というのは、スーパーマンなどの役を演じた、元映画スターのChristopher Reeve氏によって設立された基金のモットーであった。Reeve氏は、1995年の乗馬による事故で麻痺状態となった。彼とその妻のDanaは、事故のすぐ後に彼らの名前をAmerican Paralysis Association(アメリカ麻痺協会)に貸与した。そして最終的には、この組織はChristopher and Dana Reeve Paralysis Resource Center(クリストファーアンドダナリーヴ麻痺リソースセンター)として知られるようになった。
Rockwood-Nguyenは、事故以来、リーヴ基金より、たくさんの支援を受けるようになった。今日でも、その団体は、彼女が健康的で精算的な生活を送るために必要な情報や資源を提供しているという。
Rockwood-Nguyenと彼女の夫で、アジア系アメリカ人の俳優であるDustinは、その麻痺リソースセンターのMinority Outreach Campaign(少数派への福祉運動)の講演者である。彼らは人々に、「前に進む」よう元気付けている。そして、この精神はReeve氏の思い描いたものであった。
「私の事故のすぐ後、治療の真っ只中で、私はRPC(同麻痺リソースセンター)の存在と、彼らから、一定の支援を受けられることを知った。そこでは、絶望的で、混乱している時に、情報を提供してくれる人々がいる。そして、特にアジア系アメリカ人コミュニティーには、このサービスを利用できる対麻痺、四肢麻痺の人々がたくさんいると知り、私は、彼らにできる限りの支援をしようと思っている。」と、Rockwood-Nguyenは言う。
そして、麻痺の人々には将来の希望がある。当麻痺リソースセンターは、「今日、われわれは、神経科学者、研究者、医療従事者、そして、最も大切な、脊髄を損傷したたくさんの人々、それからその家族と、回復への確信を共に分かち合っている。」
Rachel Scdoris, 犬そりの選手(Competitive Musher)
Chandley McDonald
P32
20歳のオレゴン州出身の女性は、2006年、Iditarodコース犬ぞりレースの史上初の選手になった。
想像できるだろうか。華氏マイナス52度(摂氏マイナス46.7度)の寒さの中で、自らを奮い立たせ、12日間の容赦ない風に耐え、過酷なアラスカの荒野の中での1,110マイル(1,776キロメートル)のレースをすることを考えてみてほしい。コンペティティブ(一般の)「犬ぞり」、これは、Iditarodのコースでの犬ぞりレースで、一つのソリと12-17匹の犬達を率いてのものだが、これは、生まれながらにして法律上盲目のRachel Scdoris氏にとって、長年の夢の実現である。この、オレゴン州出身の20歳の女性は、Iditarodに出場した史上初の視覚障害を持つ犬ぞり選手だ。Scdoris氏と彼女の視覚通訳のTim Osmer氏は、それぞれ56位、57位で2006年3月のアラスカレースを終えた。Iditarodの熟練者である、Osmer氏は、彼女の目の前で犬のチーム操作し、レース中、彼女にコースの状況について忠告する。彼らは二者同時通話可能のラジオで会話していた。
Iditarodは、時に、地球最古の大レースと称されることもある。1973年に、この競技が始まってから毎年3月の最初の週末にアラスカのアンカレッジで開始される。それぞれのチームの犬と選手達はNomeまで、およそ9日から17日かけてアラスカを横断する。Scdoris、Osmer両氏は、12日と11時間42分で、このレースを完走した。2006年の完走と順位は、Rachelにとって特に喜ばしいことであった。2005年、彼女はレースの半分を過ぎたところでリタイアしなくてはならなかった。何匹かの犬が病気になってしまったのだ。
Scdorisは、先天性のachromatopsia(全色盲)という、ごくまれな視覚障害をもっている。彼女は色を識別できず、彼女の目は光に対してひどく敏感だ。先天性achromatopsiaというのは遺伝性の障害で、これは、アメリカで、三万三千人に一人に発症し、この症状は通常、生涯を通してずっと続くものである。この先天性achromatopsiaについては、世界各地で様々な事例が見られる。この障害をもつたくさんの人々は、通常、暗い眼鏡を装着して機能を保つことができるが、盲導犬や、杖を利用する人や、法律的に盲目の人もいる。Scdoris氏は視覚障害を持っていても、それによって夢をあきらめることはなかった。「私は8歳の頃から、Iditarodレースに出場しようと計画していました。このレースは世界で最も大きく、有名な犬ぞりのレースなんです。」とScdoris氏は言う。彼女は3歳の頃より犬ぞりを始めた。オレゴン州の学生として、彼女は高校で、陸上競技とクロスカントリースキーのチームのキャプテンをしていた。ニューヨーク市のWoman's Sports Foundation(女性スポーツ財団)の投票によって、最優秀女性アスリートの一人として選ばれ、彼女は、2002年ソルトレイクシティー冬季オリンピックで、聖火を運ぶという栄誉を与えられた。今、Scdoris氏は、大会への出場と、犬ぞりツアーの操縦士にと、自分の時間を使い分けている。
Michael Naranjo, 彫刻家(Schuptor)
Chandley McDonald
P33
視覚障害の彫刻家が「触れることができる」芸術を創造し、人々と分かち合う。